今回実感したことがもうひとつある。
「真理を追究すること」は「追究した真理を人に伝えること」とセットになってはじめて意味を持つ、ということだ。
自分たちの思考なり試行なりを、論文という媒体を通して、それを読む人の脳内に再現させなければならない。
論文がおもしろいのは、文章だけでなく、図や表や全体の構成も、表現の重要な一部になるというところだ。
もし、意義のある発見をしたとしても、それを人に伝えることができなければ、成果と見なされず、埋もれていってしまう。
科学者は、真理の追究者という側面と、文章を駆使する表現のエンジニアという側面をもっている必要があるのではないだろうか。
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