2011/07/31

HBES2011

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ちょっと時間があいてしまったけど,国際学会 (HBES2011) に出て感じたことをまとめてみる.内容自体については別のメモがあるので,ここではあくまで感じたことを.

1. 英語
2. 専門をもつ
3. 自分で創りあげる必要性

1. 英語
話すのも聞くのも,力がまだ全然足りていない.
議論という普通のコミュニケーションの時点で,自分は言葉につまることがたまに.
また,講演を聞くときも,意味を理解できないことが何度かあった.
(専門とけっこう離れた分野が多かったというのもあるかもしれないけれど)

2. 専門をもつ
専門をもつとは,自分の立ち位置,モノの見方を決めることでもある.
また,論文が出ているのとそうでないのとでは大違い.研究者の名刺は論文であるというのは本当にその通り.
まだ論文をpublishさせていないのであれば,研究者としてまだこの世に存在していないに等しい…苦笑.

3. 自分で創りあげる必要性
もし先生がテーマを与えてくれたとして,しかしそれで一生やっていけるわけではないのだから,自分自身が勉強して,問いを立てて,解を与える力を身につける必要がある.
もちろん,指導教員が必要ないと言っているわけではない.suggestionなどはありがたく受け取りつつ,それでも自分の研究は自分で創りあげていかないといけない,ということ.ストーリーのつくりかた,研究というプロジェクトの進め方,研究者としての生き方,いろいろ参考にしつつも,指導教員だって間違うことはあるし,彼らの下を離れたときのことまで考えて,学ぶ必要がある
(逆に言えば,自分の研究は自分で創りあげていくことができる,ということでもある.)

2011/07/30

0to1による論文がJJSCに掲載されました

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私が所属している0to1による論文が『科学技術コミュニケーション (JJSC)』第9号に掲載されました.詳細は以下をご参照ください.

JJSCに0to1による論文が掲載されました (0to1 Blog)

この調査と論文執筆を通して感じたことを書いてみます.

1. 異なる視点を持ち寄って議論することは非常に重要
2. 私は「まとめる」のが得意なのかもしれない

1. 異なる視点を持ち寄って議論することは非常に重要
論文を主に執筆したのは,理学系の特に生物学を専攻する大学院生でした.
どのデータをもとに,何をどこまで主張するか,それぞれの視点から活発な議論を行ない,とても楽しく調査研究執筆ができました.自分ひとりでは思いつかなかったようなアイデアが他のメンバーから出され,見込みのありそうなものに関してはさらに検討を重ねていくことで,論文の考察などは特に議論を深めることができたように思います.

その一方で,SVや査読者は科学技術コミュニケーションの分野に精通された先生方でした.
教えていただいた先行研究や方法論を参考にすることで,研究を効率的に進めることができました.同時に,異なる分野の主要な研究テーマや議論の進め方を知ることができ,自身の専門分野をあらためて見つめなおす良い機会になりました.また,理学系の「文化」のもとで学んできた私たちが当たり前と考えていた点についての指摘など,ときにはっとさせられることもありました.

研究内容の議論から論文執筆の作法まで,異なる視点から多くのことを学んだように思います.


2. 私は「まとめる」のが得意なのかもしれない
1の話とも関係してきますが,共著者や査読者のさまざまな意見を総合し,結局何を主張するかを浮き彫りにして,それをデータと論理でサポートしていくのが,私の得意なことなのかもしれないと感じました.

これを逆に言うと,ひらめきやアイデアの種をだす部分は他者に依存している,ということになるかもしれません.たしかに,共著者からのアイデアと議論がなく私ひとりだったら,論旨を構築することはできなかっただろうと思います.

メンバーの志向と特徴がうまく組み合わされば,とても楽しい仕事ができる気がします.


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そして最後に,ご協力くださいましたみなさまに心より感謝申し上げます.
引き続き,どうぞよろしくお願いいたします.

2011/07/27

消えゆく学会

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7月23日に開催された 消えゆく学会 の個人的なメモ書きです.
講演内容とニュアンスや内容が異なる恐れがあります.参照される場合は以下のような他の情報源もかならずご確認ください.

Togetter - 「消えゆく学会 〜問い直される学会の役割と社会との関係性〜」

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武田英明さん(国立情報研)
■「所属学会」が自己紹介になる.(専門性の表現,アイデンティティ)
■学会の歴史としては,科学者のコミュニティと技術者の寄り合いがある.
■科学者の社会貢献の二面性
・科学者としての中立的な助言
・学会(社会に対する科学の代弁者)構成員としての合意した科学者の声
■世界の動向
・ジャーナル:ブランド化(寡占化),オープンアクセス(情報はフリーに).
・カンファレンス:増える傾向,囲い込みもおこる.
■役割の分化
・社会的責任を果たす学会.
・同好会学会.

コメント
■学会への企業の参加が少なくなっている = リターンが少なくなっている,ということではないか.


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神嶌敏弘さん(産総研)
■Web上の学術情報
・ACM Digital Library
・Project Euclid
・寡占化のメジャープレーヤー:Springer,Elsevier,
・プレプリントサーバ
・書誌情報DB(Google Scholarなど)
・会議のIFを計算するMicrosoft Academic Search
・会議の発表をストリーミング(videolectures.net)
・会議案内を掲載するWikiCFP
・Scholarpedia:招待された専門家が記名で編集するWiki辞書
・国際会議の運営を簡単にしたシステム(Easy Chairなど)
・Tewitterはまだ発展途上(アナウンス程度,ビッグネームはやってない,議論してるのとか見たことない).
・Blogは熱心にやられてたりする.
・機会学習の分野では,MLJのEditorial Boardから有力研究者が大量辞職(読むのが有料,掲載まで遅い,など文句があったため).かわりに無料オンライン誌JMLRの創刊.
・Peer Review の公平性,負担軽減
・Webが発展しても,概念としては固まっているが言葉としてあらわせないようなものは検索できない.そうした情報を得るのは,学会や論文が最適なのではないか.


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木村忠正さん(東京大学)
■disciplineとassociationからとらえる
・disciplin:探求の過程.
・association:人々を横につないで補完する場・機会.
■日本社会情報学会はふたつある(しかも登録日が同じ)
■制度科学:"まさに「科」にわかれた「学」"
■現状の問題:Multiversity
■生産するときは組織が活発,交換するときは市場が活発.
■disciplineが何かはdisciplineが再帰的に定義していく.
■組織というローカルが意味をもっていた社会が変化してきた.

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植田憲一さん(電通大)
■アメリカの学会は,いかに世界制覇していくかを考えている.
■「公益」の考え方が米国と日本でだいぶ違う.あちらでは,学会が利益を出すのは当然.こちらでは,儲けてはいけません.学問をやっているということ自体で社会に貢献するべき.それ以外はプラスアルファ.
■学会で「これは言えません」は良いのか?
■日本の学会は世界でもっとも組織され,社会に開かれた存在として社会に貢献してきた(博士号をもたない学生が発表をするのは日本くらい).
■一般社会は,悪貨が良貨を駆逐する.しかしピアレビューは.良貨が悪貨を駆逐する.
■これがテーマだ,と選択した時点で研究の価値が決まる.あとは結果を伝えるだけ.


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山川宏さん(富士通)
■研究環境の変化:Gibbonsのモード論,ZinmanのCudosからPlaceへ,ポストアカデミック科学.


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パネルディスカッション
■学会の生産物のうち最も価値のあるものは人材.そしてそれはなくなって初めて理解される.
■Journalの価値は評価すること.評価したものを回すのは別な部分に任すのが良いのでは?
■自分は人類の知を代表している.レフェリーが認めないなら,それは人類の知に反しているとして戦わないといけない.
■研究者の価値をきちんと測れる仕組みはウワサ.しかし日本の問題は,論文発表数などの定量性をひっくり返せないこと.
■結局,研究者が何を選び取りたいのかが重要ではないか.

2011/07/20

「好きでやっている」ことと「報われる」こと

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「好きでやっている」が,マイナーであり簡単ではないことに従事している人たちは「報われない」,という事象に対して,「報われる」ようになったら,その人たちはその好きでやっていることを続けられなかったかもしれない,というちょっと逆説的な推論.


1. 背景
以下のまとめを読んで,たしかに,結果だけでなく過程にもきちんとスポットライトが当たり,ひたむきに生きている人が報われるようになれば本当に良いなあと思いました.

なでしこ優勝の裏側で…

特に重要なのは,この事例は,他のマイナースポーツ,芸術,研究とかにも通じることでしょうか.これらに従事する人たちは,地道に挑戦を続けていても,「報われる」わけではなく,社会の中では「つらい」思いをすることになってしまう.もしうまくいって注目されても,その注目はあっという間に消費されて,あとは以前と同じに戻ってしまう.

では,もっと間口を広げて,支援を厚くして,挑戦をつづける人や地道にやっている人が「報われる」仕組みをつくればいいのか?と考えたところが,このエントリの出発点です.結論から言うと,この仕組みが本来の目的の達成しつづければいいけれど,私は,それは困難じゃないかなと思いました.


2. パイが大きくなるほど競争は無慈悲になっていく
なぜ困難だと思うのか?
…それは,間口を広げて普及させたあとにはコモディティ化が待っていると思うからです.つまり,「簡単ではないこと」であり,ベネフィットの絶対値が小さいからこそ,参入者が少ないため無慈悲な競争がおこらず,好きなことしたいことができている側面もあるかもしれない,ということです.ニッチな対象を攻めることは,それ単独で立派な優位性となります.

しかし,もし対象が「簡単なこと」になり,得られるベネフィットの絶対値も大きくなったらどうなるか?おそらく参入者が増加して熾烈な競争が生じるのではないでしょうか.その分野に従事しているのが世界にひとりだけなら,自分は間違いなく1番になれます.でも,それが100人だったら?10000人になったら?…パイ自体の大きさも増加するかもしれないけれど,その分野がメジャーになるほど,したいことに挑戦する者ではなく,したいかしたくないかに関わらずそれができる者,に優位性が移っていく.つまり,卓越した熱意ではなく,卓越した能力に,基準が移っていくように思います.(一般に,熱意と能力のあいだには正のフィードバックがはたらくようにも思いますが.)

そして,もっとパイが大きくなって,もっと参入者が増加すると,ある分野では,熱意・能力だけではどうしようもない側面が強調されていくことすらあるようにも思います.戦略的かつ徹底的に大規模な財力や専門性を投下できる者がパイをさらっていくようになってしまうわけです.こうなってしまうと,もはや熱意や能力があるかはほとんど関係なく,「報われてきた者」がさらに報われるという,まったくもって無慈悲な競争になってしまいます.(目的が,それをやることから,「報われること」に移っていくのかなと.)


3. だからといって支援が必要ないわけではない
もちろん,2の推論は,だったら地道にやっている人たちへの支援は必要ないとか,現在ニッチな分野で成果をあげている人たちは実は大したことないとか,そういう結論へ短絡的に結びつくわけではありません.選択および支援における自由と多様性をどれだけ担保できるかが,社会の福利の度合いをはかるひとつの目安になるのかなと個人的には思っています.また,ニッチな分野で挑戦を続けつづけるのは,誰にでも簡単にできることではないでしょう.


4. 結論
もし2の推論が真ならば,マイナーであり簡単ではないがやりたいことは,だからこそやってみる価値もあるのではないかということになります.現状の社会では,いろいろな「好きでやっていること」は十分に「報われていない」状況です.しかし,みんながやらないから間口も狭く,ベネフィットの絶対値も大きくはないけれど,だからこそ「好きでやっている」状態をつづけられる可能性も高いかもしれない.そんな風にも言えるかもしれません.


0. 注意
このエントリは,決して,誰かを誹謗中傷するために書いたものではありません.
また,「報われる」という言葉をどう定義するかによっても,話は大きく変わってくると思います.ここでは,社会的金銭的に評価されるという意味あいで「報われる」という言葉を使っています.(私は,それだけが報われるということではないと思っていますが,あくまで便宜的に.)
それと,福利厚生のような,結果が積極的に「報われる」ことには結びつかないものに関しては,上記の推論をそのままあてはめることはできないようにも思います.

2011/07/17

TOEFLiBTスキルアップセミナー

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先日参加してきた TOEFLiBTスキルアップセミナー のメモ書きまとめ.

■全体的に
・メモは,とってもとらなくても,全体的に見ると結果は同じ(たしかに,自分の受験時にもそれほどは役立たなかった).
・speaking に苦手意識があったけど,なんとかなりそうな気がしてきた.

■Reading
・語彙力があれば単語問題はできる.単語力はないよりあったほうが断然良い.
・最初に全文読むと時間がなくなることが多い."読む"というより"問題を解く"感じ.
・毎日すこしずつでも続けていれば,感覚が身についてくる.analyzeしなくてもわかるようになる.
・読んだ内容のsummaryをつくると良い.その際,同じ文章を繰り返すのではなく,paraphraseする.
・文章の構造を意識しながら読むと良い.説明文(main + support),因果関係(a → b → c),比較(a-1, a-2, b-1, b-2),問題解決(problem → solution 1, 2, …),ナレーション(chronological order).

■Listening
・次に何を言おうとするか予想する練習をする.
・answer to the point 形式になっているので,まずsummaryを聞いて,次にどんなdetailが来るか予測する.
・文化的背景の違いにも注意.

■Speaking
・2つのうちからどちらかを選ぶ問題は,どれもdepend on the situationなんだけど,それでも言い切ってしまったほうが答えやすい.
・評価軸は,カタチができているか,スラスラ言えてるか.内容の稚拙さは関係ない.
・沈黙は減点対象になるので,何も言わない時間をつくるよりは,エーやらアーやら言ったほうがいい.
・評価する人もわかるユニバーサルな対象について述べる.
・自分の選択肢の反対について,なぜそれが良くないのかも述べると信憑性が増して良い.
・カタチをつくるためにはつなぎ言葉が重要になってくる.
・時間があまったら,最後に自分のhopeやsuggestionを入れる.

■Writing
・トピックセンテンスは短く.言いたいことに関する単語が入っていればそれでよし.First, it is tuition. とかそのくらい.
・構造は,introduction(hock 一般論, つなぎ,主張のまとめ),body(topic, supporting)× いくつか,conclusion(◯◯の理由より主張, general statement オチや自分の考え).
・機械的な反復は,剽窃行為につながるものとみなされ,むしろ減点対象になる.

2011/07/04

仕事とつながり

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なんともう,最終出社日が先々週になってしまいました.
時が経つのは本当に早いもので,6月は,時間が過ぎるのがどんどん加速していったような1ヶ月間でした.
(ありきたりな表現ですが,本当にそうだったのです…!)
最終出社日の後も,論文の直しや学会発表の準備があって,ここにきて,ひとまずやっと落ち着いた時間がとれた感じです.

さてそれで,退社の周辺でちょっと感じたことを書いてみようかと思います.
1. なににしても,自分に何ができるかが重要
2. 別離のさみしさとソーシャルメディアについて

1. なににしても,自分に何ができるかが重要
今回,一緒にお仕事をしたことのある部長さんも同時期に退職されることになり,メッセンジャー上などでちょっと話をした.この仕事は,普段の業務とはほとんど関係なく,たまたま自分が取り組めることになった(しかしかなり楽しい)ものだった.

その話をしたときに感じたのが,会社という枠の内だけでも,それを超えるにしても,自分に何ができるかが重要だということ.
ほとんどすべての仕事はチームでするもので,最高におもしろい目的を,仲間と実現しようとするなら,それぞれが多様な能力を持ちよって,結果を創り上げていく必要がある.能力がうまく相補しあって,チームのパフォーマンスが足し算でなく掛け算のようなかたちで現れるなら,それはとても楽しい仕事になる.もし,会社や肩書きという枠に頼っているだけで,個性とか能力とか志向とか,個人としての資質において自分には何もできないのであれば,それは結局「与えられた仕事」をこなしているに過ぎない.

それで,あらためて自分のことを眺めてみると,現状ではまだまだいろいろな枠に頼っていて,もっと突き抜けることができてもおもしろいのかなと感じている.もちろん,枠をうまく利用するというのも,ひとつの能力ではあるのだけれど.


2. 別離のさみしさとソーシャルメディアについて
別離のさみしさは,人と疎遠になることから生じる.これまでの人生では,たいていの「卒業」は彼らと疎遠になることを意味していて,毎回さみしい思いをしていた.でも今回は,(業界や会社柄もあるかもしれないけど)ほぼみんながTwitterやFacebookを使っている.TLを眺めればみんなはそこに「いる」し,もしかしたら普段から,Web上で仲間と接している時間のほうが長いかもしれない.

そんなこともあるのか,退社時,別離のさみしさを "それほどは" 感じていなかった.
(それでも,もらったメッセージや写真を見返したら,なんとももう,ひとりひとりと直接話をしたいような気分になって,あぁこういうことなのかなあ…としみじみ思ったりもした)
(あと,「お別れのメッセージ」は,書いた人の個性が如実に表れていて,実におもしろいです)

もちろん「リアルとつながるネット」はあくまでWebの一側面であって,これがすべてではないし,そうあってもほしくないと思うんだけど,なんだか不思議なものです.