2011/07/04

仕事とつながり

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なんともう,最終出社日が先々週になってしまいました.
時が経つのは本当に早いもので,6月は,時間が過ぎるのがどんどん加速していったような1ヶ月間でした.
(ありきたりな表現ですが,本当にそうだったのです…!)
最終出社日の後も,論文の直しや学会発表の準備があって,ここにきて,ひとまずやっと落ち着いた時間がとれた感じです.

さてそれで,退社の周辺でちょっと感じたことを書いてみようかと思います.
1. なににしても,自分に何ができるかが重要
2. 別離のさみしさとソーシャルメディアについて

1. なににしても,自分に何ができるかが重要
今回,一緒にお仕事をしたことのある部長さんも同時期に退職されることになり,メッセンジャー上などでちょっと話をした.この仕事は,普段の業務とはほとんど関係なく,たまたま自分が取り組めることになった(しかしかなり楽しい)ものだった.

その話をしたときに感じたのが,会社という枠の内だけでも,それを超えるにしても,自分に何ができるかが重要だということ.
ほとんどすべての仕事はチームでするもので,最高におもしろい目的を,仲間と実現しようとするなら,それぞれが多様な能力を持ちよって,結果を創り上げていく必要がある.能力がうまく相補しあって,チームのパフォーマンスが足し算でなく掛け算のようなかたちで現れるなら,それはとても楽しい仕事になる.もし,会社や肩書きという枠に頼っているだけで,個性とか能力とか志向とか,個人としての資質において自分には何もできないのであれば,それは結局「与えられた仕事」をこなしているに過ぎない.

それで,あらためて自分のことを眺めてみると,現状ではまだまだいろいろな枠に頼っていて,もっと突き抜けることができてもおもしろいのかなと感じている.もちろん,枠をうまく利用するというのも,ひとつの能力ではあるのだけれど.


2. 別離のさみしさとソーシャルメディアについて
別離のさみしさは,人と疎遠になることから生じる.これまでの人生では,たいていの「卒業」は彼らと疎遠になることを意味していて,毎回さみしい思いをしていた.でも今回は,(業界や会社柄もあるかもしれないけど)ほぼみんながTwitterやFacebookを使っている.TLを眺めればみんなはそこに「いる」し,もしかしたら普段から,Web上で仲間と接している時間のほうが長いかもしれない.

そんなこともあるのか,退社時,別離のさみしさを "それほどは" 感じていなかった.
(それでも,もらったメッセージや写真を見返したら,なんとももう,ひとりひとりと直接話をしたいような気分になって,あぁこういうことなのかなあ…としみじみ思ったりもした)
(あと,「お別れのメッセージ」は,書いた人の個性が如実に表れていて,実におもしろいです)

もちろん「リアルとつながるネット」はあくまでWebの一側面であって,これがすべてではないし,そうあってもほしくないと思うんだけど,なんだか不思議なものです.

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