2011/12/02

大きなシステムに反対する活動について

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大きなシステムに対して,徒党を組んで反対する活動は,非合理的かもしれないという話.

競争や不平等は,限られた資源を目当てに多くの人間が算入することによっておこる.
そして,競争の結果はたいていロングテールになっていて,少数の非常に富める者と,大多数の比較的貧しい者とが生じる.

就活や社会格差などの大きなシステムの下では,多くの人は望みどおりの結果を得ることができず,システムに不満を抱くことになる.
そこで,不満を抱く多数の者で徒党を組んで,システムに対して反対の声をあげたり行動をおこしたりすることがある.
反対すること自体が目的であれば構わないけれど,もしその先にあるはずの自分自身の幸せが目的であるなら,こうした活動はちょっと非合理かもしれない.

反対する活動というのも一種のシステムだから,徒党を組んで組織的にやるほど,反対しているはずのロングテールの不平等なシステムと同じ構造をもった世界が確立されていく.同志でもあり競争者でもある人間のひしめくそんな世界で,果たして自分は幸せになれるだろうか?
また,システムを崩壊させたところで,代わりの足場となるほかの世界を創りだしていなかった限り,また新たに生じた大きなシステムに組み込まれて,同じような不幸せに巻き込まれることになる.

大きなシステムに反対する活動はリスクも高い.
(もっともあり得そうなシナリオとして) どれほど反対したところで大部分の人がシステムに安住することを選べば,自分は何の利益も得られず,それだけでなく自分という競争者を排除したことによってシステムに属するメンバーに利益を与えることにもなってしまう.

その一方で,システムでなく自己を軸にすえれば,こうした問題はだいたい生じない.
システムはそこにあるものとして認めたうえで,まず自分の優先順位やしたいことを本当に考えて,いろいろ手をつくしてそれを追求してみる.そうすれば,システムの現状がどうあろうが,自分の軸までふりまわされて致命的なダメージを受けることはない.(本当に考えた結果が,システムに反対する,というのももちろんあり得る)


まとめると,システムの下でシステムに反対しても結局は同じになってしまうということ.そうでなくて重要なのは,システムそのものを飛び越えてしまうこと.言いかえると,反対そのものを目的にするのではなく,自分の本当にしたいことを軸にして行動すること.
そうした「自己本位」の過程が,結果としてシステムの不合理性への反対となるんじゃないだろうか.



このエントリは (というよりこのエントリに限らず),誰かを誹謗中傷したりするような意図で書いているわけではないことを付記しておきます.

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