このBlogのタイトル「想像力より高く飛ぶ」に込めた意味を書いてみます ※1.
まず,生きている限り,人は選択を重ねるものだけど,選択それ自体は本質ではない.
選択の本質は,想像するというところにあると思っている.
起こり得る可能性を想像して,それに対する自分の行動 (選択) を想像し,その結果起こり得る可能性を想像して…
ときにはハイな気分や苦しい想いを通り抜けたりして.自身の選択の結果が内的・外的にどのような影響をもたらすことになるか,それを考える想像のループを回す過程が選択の本質であって,選択それ自体は,確かに目立ちはするけれど,やっと最後に表れ出された結果にすぎない.
そして,この想像を含む選択という行為によって,私は私であることができる.
無限の可能性の中から,選び取り,捨てるもの,それらが私を浮き彫りにし,私に私であるという個性を与えつづける.
もし,取るものも捨てるものも,何も選ぶことができなかったら,私が私という存在であることは困難になる.
こうしてみると,想像できないもの,は非常に恐ろしいものに思えてくる.
想像さえできれば,選び取ることも捨てることもできるのだけれど,想像できない限り,それは選択の対象にのぼることすらなく,そこに,私は,決して存在できない.
だから,自分の想像できる範囲を何とかして広げることが,決定的に重要だと思った ※2.
つまり,自分の想像力よりも高いところから世界を見渡そうとすること.
そんな想いをこめて,「想像力より高く飛ぶ」という名前をつけたのでした ※3.
注
※1 でもやはり,とても抽象的になってしまった…
※2 最近はちょっと考えが変わってきたりしているのですが.
※3 寺山修司の「どんな鳥も想像力より高くは飛べない」という言葉が念頭にあります.
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