2012/04/17

内部の交流

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「内部の交流」に興味がある.
研究紹介のセミナーみたいなものは,学部のころから何度か企画運営してきたし,会社勤めのときはゆるいランチセミナーみたいなものをやっていたし,そういう場にでかけていくのも嫌いではない.

どうして私が「内部の交流」に興味をもっているのか,さみしさ,もったいなさ,見通し,という3つのキーワードで語ることができそう.

さみしさ

私は,人と,パブリックな関係を築くことは得意な反面,親密な関係を築くことが苦手なように思う ※1.「内部の交流」は,同じ組織,同じ目的,そういった何かしらの共通点を足がかりに,人との関係を求めていく私なりの方法なんだと思う.

もったいなさ

人間はとても多様でおもしろくて,誰しも,あまり表に出さない,ユニークな部分をもっている ※2.こうしたユニークな一面を知りたい,という思いも,「内部の交流」に興味をもつ理由のひとつのような気がする.そこから何かを学べたり,創発的に新しいものができてくれば,もっと楽しい.空間や時間がたまたま一致して,近くにこんなにユニークな人たちがいるのだから,もっと知らなければもったいないという思いがあるのだろう.

見通し

私には,「着想」と「戦略性」を重視する傾向がある.多様で大量に存在する対象を俯瞰して,複雑さをシンプルな考え方で説明し,自分にとって進みやすい道筋をつけようとする.この態度を,人の集合体に対して適用している結果が,「内部の交流」ということになるのだと思う.組織やシステムなど複雑なところで,すこしでも見通しをきかせるために,そうしたことをしている側面もあるかもしれない ※3


※1 前者は,特定の決まりごとや共通の目的の下で,ビジネスライクに協調関係を構築するようなイメージ.後者は,利害や損得関係なしに,パーソナルな付き合いを確立するようなイメージ.

※2 たとえば私は,カードやコインがあればいくつかのちょっとしたテーブルマジックができるのだけれど,普段そんなことは話題にしない.

※3 こう書くと,なんだか人を見下したり,手段として扱っているような気になってくる.これまで,そういう態度をとっていたかもしれない.しかしそうではなかったとも思う.

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