2012/06/23

角川文庫さんシバリのスゴ本オフ

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク
角川文庫さんシバリのスゴ本オフ」にて紹介する予定の本.
どれも抽象的な説明になってしまったなあ…

##
仰臥漫録 正岡 子規

解説のなかで嵐山光三郎は
子規はわれらにむかって吠え,泣き叫び,激しく,人間の根源を問いかける.
と書いているけれど,私はそうは思わない.

たしかに,子規の病状は絶望的で,寝起きや排泄も自分の思いどおりにならず,しばしば猛烈な肉体的・精神的苦痛が彼を襲う.病人とは思えぬ量の食事をとり,腹を下し,看病している母や妹に癇癪をおこして後悔する.

それでも,私はどうしても,全体からあふれでる妙なユーモアを感じてしまう.

便通
牛乳ココア入 ねじパン形菓子パン半分程食う 堅くてうまからず よってやけ糞になって羊羹菓子パン塩煎餅など食い渋茶を呑む あと苦し

p. 52

一両日来左下横腹 (腸骨か) のところいつもより痛み強くなりし故ほーたい取替のときちょっと見るに真黒になりて腐り居るようなり 定めてまた穴のあくことならんと思わる 捨てはてたからだどーなろうとも構わぬことなれどもまた穴があくかと思えば余りいい心持はせず このこと気にかかりながら午飯を食いしに飯もいつもの如くうまからず 食いながら時々涙ぐむ

p. 98

食にぶつけるほか逃がしようのないストレスや,崩れてゆく自分の体にショックを受ける子規の姿がある.だけれども,自分の悲しみに入れ込んでいたり,壮絶な戦いのさなかにある人間は,こんな文章を書けないんじゃないかと私は思う.ときどき挟まる絵を見ていても,そう思う.

子規は,そこにいるのだけれど,いないのだ.
たとえ聞く者が自分しかいないとわかっていても,どんなに心が落ち込む状況にあっても,人が自分を見る目には,どうしてもユーモアが混じるものなのかもしれない.


##
子規が生きていた明治の頃の食べ物は,現代に見られるものと概ね同じだった.
では,時代をさかのぼって,江戸時代はどうだろうか?中世は?縄文時代は?…そんな疑問が湧いたとして,それに答えてくれるのが次の本.

日本人はなにを食べてきたか 原田信男

著者は文献史の研究者で,縄文時代から現代にいたるまでの食の変化を,実証的かつ丹念にたどっている.

日本に農耕が導入されて以来たった2-3千年のあいだにどれほど食文化が変化したか,仏教的な背景をもつ肉食禁忌の実体,「遊び」としての食が普及した江戸時代,など,知っているようで知らなかった食の歴史が著されている.

そして,食は食だけに完結していないのが,この本を読むと理解される.
社会,文化,経済的な背景から食は大きな影響を受け,またそれらに大きな影響を与えてきた.そんなことがよくわかる一冊.


##
前の本が,食の「歴史」という縦の糸に着目した作品なら,次の本は,特に肉食の「多様性」という横の糸に着目した作品.

世界屠畜紀行 内澤 旬子

日常的に食べている肉が「肉になるまで」を世界各地で追ったルポルタージュで,もちろん日本の芝浦屠場についても,丹念に取材し現場に入り込んで,文章が書いてある.

著者は,屠畜の現場を追っているのだけれども,視線は表面をなぞるにとどまらない.屠畜という行為がどのように見られているか,どのような文化的・経済的・歴史的背景で行なわれているか,そしてそれはなぜなのか.

ときに現象のうすっぺらな記述に終わりがちなルポルタージュだけれども,著者は,曇りのない視線で,現象に説明をつけることを試みる.説明がうまくいっているのは,現地の人と楽に打ち解けてしまう彼女の人間的魅力に負っているところが多いんだろうなと,そんなことを感じたりする.

韓国でもバリ島でもエジプトでもチェコでも日本でも,動物を殺すという「かわいそうなこと」が,実にいきいきと行なわれている.肉食という生活にもっとも近い行為のひとつの裏に,どんな人々がいて,何をしているか,きっと知っておいて損はない.

日本で見られる (見られた) ような,「屠殺」にまつわるネガティブなイメージやそれに携わる人々への差別が,世界では必ずしも一般的でないことも,付記に値する.このようなイメージや差別がどのように形成されてきたか,『日本人はなにを食べてきたか』の記述を参考に考えてみるのも良いかもしれない.

最後に,随所にはさまるイラストが素敵なのと,沖縄のヤギ肉料理はぜひとも食べてみたいものです,という感想を述べておきましょう…


##
「角川文庫」と聞いてどうしても紹介したかった本.

日本の人類学 寺田和夫

日本における人類学 (自然人類,文化人類,そして考古学) がどのように発展し,そして細分化してきたか,史実にもとづいて丁寧に追っている.

日本の人類学の祖 坪井正五郎,最終学歴が小学校中退の東大助教授 鳥居龍蔵,星新一の祖父 小金井良精,異常なまでの収集癖をもっていた清野謙次,出版という方面から学問の発展に寄与した岡茂雄…実に多様で癖のある人々が,いかにひとつの (いくつもの) 学問体系をつくりあげていったか,それが手に取るようにわかる.

私は自然人類学を専攻しているので,この本に書いてあることが,血肉になるように吸い込まれていった.他の人が読んだときも同じように楽しめるかはわからないのだけれど,自分の専攻する分野の学史を知っておくことは非常にためになると思う.

どのような学術課題が当時提示されていたか,どのような社会的背景があってその分野が誕生したか,当時と現在とでどの程度手法が変わったか…巨人の肩の上にのって学問をしているという事実が,これほど理解されることも多くはない.

最後に,ひとつ気になったのが,女性研究者の名前が,ひとつも出てこなかったこと.第二次世界大戦終戦の時期でこの本は終わるのだけれど,それまで女性が研究に携わることがいかに困難だったかということと,今なおその状況は解決されていないということに,なんとも釈然としない気持ちを抱いている.

0 件のコメント:

コメントを投稿