2012/02/10

Ph.D.の価値と,幸せということ

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工学博士取得 → 会社勤め → 退職してインドネシアで創職活動
という人生を送られている mkamaga さんをAcafeにお招きして,話をうかがいました.

内容自体は以下が参考になります.
アジアにでた博士が吠える「博士よ、海外にでろ!!」 #drkmg -Togetter

それで,話の中で印象的だったのが,ふたつ.
Ph.D.の価値と,幸せということについて.

Ph.D.の価値

問題を発見しソリューションを提供すること,そして,それを自分にとって一貫した形で回せること.というフレーズを聞いて,ずいぶん前にたまたま読んだ,以下の文章が思い浮かびました.

最近の私は”博士号”は何か新しいことを手がけ、やり遂げた証なんじゃないかなって思っている。
大量生産されるPhDの行方は。 - 理系ちゃんのラボノート

博士課程で,自分自身の力で「解くべき」問題をみつけ,他人にわかるかたちで解決索を提示する過程と真剣に向きあえば,研究というフィールドであろうとなかろうと,新たな課題に対して,自分なりの視点から問題発見・解決策提示ができるようになる,ということだと考えています.


幸せということ

ちょうど同じ日に,以下の記事を読みました.

教授からのメッセージ -九州大学生体防御医学研究所

この記事にあるような,アカデミアでなんとかsurviveするために必要となる膨大な努力と,mkamaga さんのような,先の予測できない道を切り開いていく努力とについて,どちらも印象に残りました.
そして,共通点は,当人にとっては努力が努力でない,ということかなと思いました.

すべてのプロセスを深く楽しむことのみによって,これらの,時間を必要とする努力を維持することができる
成功した大学院生になる

ということですね.
プロセスを深く楽しんでいた場合,努力は努力ではなくなることがあると思うのです (それでも努力は努力であるという側面はもちろんありつつ ですが).自分の幸せが何であるか,きちんと自覚できていれば,適切でない努力をして幸せを磨耗させるリスクは,だいぶ軽減されるだろうと考えられます.


実は同じ

そして,これらふたつは,実は同じ構造をしているのではないかなと思うのです.
「解くべき」問題をみつけるということは,現象に対してsignificanceを与えるということです.そして,幸せに生きるためには,自分の人生に対してsignificanceを与えることが必要です.

つまり,
Ph.D.の価値は,現象にsignificanceを与えて,それを実現することで,
幸せは,自分の人生にsignificanceを与えて,それを実現しようとすること,
といえるのではないかと.


取り組んでいる現象における問題と,自分の人生と,当然,自分の人生に与えるsignificanceが上位に来ます.両者が同じ線上にあれば言うことなしですが,現象に与えるsignificanceが,もうこれ以上,線上に乗らないのであれば,さっぱりあきらめるだけのユルさも,自分に許して良いと思うのです.

と,そんなことを思ったAcafeでした.

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