という人生を送られている mkamaga さんをAcafeにお招きして,話をうかがいました.
内容自体は以下が参考になります.
アジアにでた博士が吠える「博士よ、海外にでろ!!」 #drkmg -Togetter
それで,話の中で印象的だったのが,ふたつ.
Ph.D.の価値と,幸せということについて.
Ph.D.の価値
問題を発見しソリューションを提供すること,そして,それを自分にとって一貫した形で回せること.というフレーズを聞いて,ずいぶん前にたまたま読んだ,以下の文章が思い浮かびました.最近の私は”博士号”は何か新しいことを手がけ、やり遂げた証なんじゃないかなって思っている。大量生産されるPhDの行方は。 - 理系ちゃんのラボノート
博士課程で,自分自身の力で「解くべき」問題をみつけ,他人にわかるかたちで解決索を提示する過程と真剣に向きあえば,研究というフィールドであろうとなかろうと,新たな課題に対して,自分なりの視点から問題発見・解決策提示ができるようになる,ということだと考えています.
幸せということ
ちょうど同じ日に,以下の記事を読みました.教授からのメッセージ -九州大学生体防御医学研究所
この記事にあるような,アカデミアでなんとかsurviveするために必要となる膨大な努力と,mkamaga さんのような,先の予測できない道を切り開いていく努力とについて,どちらも印象に残りました.
そして,共通点は,当人にとっては努力が努力でない,ということかなと思いました.
すべてのプロセスを深く楽しむことのみによって,これらの,時間を必要とする努力を維持することができる成功した大学院生になる
ということですね.
プロセスを深く楽しんでいた場合,努力は努力ではなくなることがあると思うのです (それでも努力は努力であるという側面はもちろんありつつ ですが).自分の幸せが何であるか,きちんと自覚できていれば,適切でない努力をして幸せを磨耗させるリスクは,だいぶ軽減されるだろうと考えられます.
実は同じ
そして,これらふたつは,実は同じ構造をしているのではないかなと思うのです.「解くべき」問題をみつけるということは,現象に対してsignificanceを与えるということです.そして,幸せに生きるためには,自分の人生に対してsignificanceを与えることが必要です.
つまり,
Ph.D.の価値は,現象にsignificanceを与えて,それを実現することで,
幸せは,自分の人生にsignificanceを与えて,それを実現しようとすること,
といえるのではないかと.
取り組んでいる現象における問題と,自分の人生と,当然,自分の人生に与えるsignificanceが上位に来ます.両者が同じ線上にあれば言うことなしですが,現象に与えるsignificanceが,もうこれ以上,線上に乗らないのであれば,さっぱりあきらめるだけのユルさも,自分に許して良いと思うのです.
と,そんなことを思ったAcafeでした.
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